蜜琴

自分に何を渡そか                 
 交流というと 人と人ばかりではない
人と木 人と物 人とこの瞬間、いろいろある
そして その何かと自分が交流するとは 
交換するのかもしれない
何と何が交換するかというと古い自分と新しい自分が^^

交流を 交感と書こうかな。

こうかんと変換すると 今 好感という字がでたけど そういえば
交感するとき 好感を持っている 気持ちよさを感じている
花に近寄ってゆくとき 猫に近寄ってゆくとき かもめに話しかけるとき
とても楽しげな楽ちんな心地がする
そんな好感ってなんだろう すくなくとも
うばってやろうという気持ちではない気がする


人と人の間については 好感って 
ちょっと複雑さを帯びてくる

ちょっと古いけど あげまん さげまん とか 釣った魚にエサはやらないとか(笑) 
そうそう勝ち組 負け組とか
そうゆう私たち人間の世界では もちろん 勝ち抜いていこう そのために手に入れていこうという自分の中のその構造が作動する
いつも自分が 楽ちんな気楽さ すなわち今を感じようという余裕がある心の状態か 
そうでないかに気づいている必要がある
今なんかどうでもよくて何か手に入れることしか考えられない思いに
乗っ取られている自分をみているといい

ほら ポジティブがよいのはもちろんそうだと思うけど
フックで何かつかみかかるような
なんてゆうの 期待を含んだポジティブさや愛想のよさ 礼儀正しさ

ただ座っているような前向きさとは
それはあからさまにちがう


フック船長(笑)のほうは 自分の期待がはずれたら急に敵意を振りかざしてくるし
態度がガラっと変わるからね
でもこれ普通に私たち日常していることで
自分のそれをいくつもいくつも見つけたら
それが誰かから飛んできても 翻弄されなくなるのがいいところだと思う
うそ臭さに乗っ取られるんじゃなくて
自分でうそ臭さを操作できるようになるかもしれない^^

どんな人も
心から向き合えないことにむなしさを感じるんだと思う。
それこそ人の本質の前向きさ 自然な好感という姿のなせること なのかな

いれものを差し出して いれてくれたら愛想よくしますよ
というのとは反対に
もらおうと思わない姿勢は いれものをひっくりかえした形に感じる
それはフックが壁にかけられて静かにどうぞ使ってもいいですよっと言っているような姿だなあと感じる  もらおうと思わない姿勢はもう自然と何かすばらしいものを与えているのかもしれない
犠牲とはまったく性質のちがうものがあふれている
そうだ 花が咲く姿はそれを教えてくれる。

だれかや何かとかかわっているとき ふと
自分が いれものをどうしているか 意識してみているのもおもしろい

社会でよく言われる ひとに与える人はすばらしいは本当は
ひとを操作しようとしない人のことなのかな 
そのむこうにはほんとうに
もらおうと思わない本人にとってすばらしい世界が ありのままの楽ちんな世界が
ひろがっているのかも。

重荷を渡すか いのちを渡すか
それは 自分が重荷を感じているのか いのちを感じているのかと
同じなんだなあと思う

そしてこの重荷のプログラムは 
ほんとうは憎しみなのです。

まさか〜わたしにそんなものないよ〜って!?
なにゆっとんじゃっあほかって怒りや拒絶が湧く?
それは その憎しみが生き続けようと抵抗しているのかも!

さて それはそうと
自分の体の中の感覚を感じること みえないエネルギーの流れを
意識してみることは だれかやなにかと交感することと同じように
自分を新しくすることができる ここにひな形がある^^

だけど そうしてじっと座っていることもさせない何かひっぱっているものが
私たちの中にはあるのかもしれません

でもそのプログラムを包み込むか そのプログラムに使われるかは
意識しているという一点にかかっているのだ

今は魔女狩りも女性という役割を強いられることもない時代だけど
自分のなかの得も知れぬ
女性性を強い力で押さえつけられたという重苦しさやゆううつさ怒りについて
集合的なものすごい力について
もののけ姫でアシタカが エボシに そなたの中には夜叉がいる
この娘の中にもな と言ったように
自分の内側にその無意識の中でうごくめく夜叉のような部分を見つけたとき

それをどこかで自分はずっと見ないようにしていたなと気づきました
相手も同じ苦しみがあったんだからと正論を言っても
けして相手の苦しみを自分の内側にみることができない みる気がない
自分の奥の奥の鉄の壁みたいな 
自分のそれを苦しみや痛みとさえ感じることをとめているような
自分では思いもよらない構造が
思いもよらず 現実に作用していたときづいたとき 
自分ではコントロールできないような中毒的なほしいほしいのプログラムは
何か企みをはらんでいるときづいたとき
なげきづつけたり恐れて逃げるより
あるんだと受け入れたときの感覚はしっくりした感じでした
そのとき自分にひとつ安らぎを渡したのです
そのときベクトルが反対になりました
夜叉と共存し見つめることは自分の役割だと思うのです
 


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