蜜琴

テレビとクリーニング、帽子とマルコ                 
この前の日曜日の NHKの八重の桜は 襄と行く会津 だった。
わたしは録画していて 一度みて それからあと2回みたけど
見事に 3度とも 涙がこぼれにこぼれた。

人間はどれだけ どうしようもない色々なことを体験しているんだろうと思う。
その状況はどんなものだったかはわからない 
でもわかるというのは
まさに 勝手に流れる涙の反応がそう教えているんだなあ。
この感じどこかで感じたなあと 涙が流れているときに感じていると
いぜん一緒に暮らしていた猫のメリーの最後のころ
つめたい部屋でレントゲンをみたとき
とめどなく 勝手に涙が流れに流れたときと重なった。

(ちょ いま マルヒアくん(愛称 マルコ)が これを書いている画面の前で座っていて見えない。
なでてなでてとおしりをだしてます。
ちょっとどいてちょうだいよ)


そういえば あるひとが 外国のとある場所に初めて足を踏み入れたときの写真があって
その写真をみたとき 笑っているのに そのひとの顔が ずっと願いつづけた故郷に
やっと帰ってこれたと泣いている泣き顔に見えてぎょっとしたことがあったのも思い出した。

いづれにしても 今涙がでるのは よい気がする。
今なのに むかしなつかしい時を体験しているようにも思う。
このときをわすれたくないってどっかで自分の一部が叫んでいるようにも思う

テレビを見ながらも 忘れずに 
わたしのなかでなにがこうさせているのか?ありがとう ゆるしてくださいと
クリーニングする。
このごろ忘れていても ウニヒピリが勝手にしてくれてるときがある。

クリーニングは 不思議だなと思う。つづけていると
だんだん気づかなかった色んなことに気づいてくる。
そしてこれ読んでみようかなとか
してみよっかなって 自然に思ってしたことで また なにかがすすんでゆく。
変化してゆくんだけど どのようにというのは徐々に流れつづけていてうまくいえないけど
人は人 自分は自分だと思うようになってきた気がする。
あ、習慣的に湧き続けていた思いが あるときふと気づくと 出てこなくなっていた、、、とか
その思いがあってこそ自分だったのに その思いがでてこなくなったってことは
いつしか自分が変化しているなって気づく。

それにしても 八重の桜の 八重さんの帽子が素敵で
そればっかり見てしまう。ちょんと頭にのせるような小さいものや
平べったいもの、
ちょうどあんなかんじの異人風の服にも惹かれてしょうがない。
あの時代に生きてあんなのを着ていたのか 人が着ていたのを着たくてしょうがなかったのか、、
ヨーロッパに心底あこがれているのか、、
って浅〜い想像しか今浮かんでこないけど
とにかく帽子でワクワクする気持ちは 自分なんだなあとつくづく思う(笑)
なにかがどうしてもできない自分だからこそ自分なように。
自分は自分だと感じるほど 逆説的だけど ひとと触れ合える気がしてくる。

そう帽子といえば このまえ 網のついた小さい帽子を(ほら 古いフランス映画とかで網を顔にかぶせてるやつね)
ふたつ持っているから ひとつどうぞと踊り仲間である年上の尊敬する友人に頂きました。
帽子の網って網をかぶっても 網が気にならないくらい普通に前が見えるんです!
ほうって思った!


 
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