蜜琴

椅子                 

椅子がとても優美にみえた午後

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ゴーイングマイホーム                 
 みそおにぎり作った。おいしい!
前回のゴーイングマイホームの中で作っていたから。→レシピはこちら


きのうもおいしそうな カリフラワーの白いスープがでてきた。
そのうち作ってみたい。

きのう終わってしまったゴーイングマイホーム 
すばらしかった。こんなふうにときどき 心に響く物語にあう。

ありがとうゴーイングマイホーム!


子役の蒔田彩珠(まきたあじゅ)ちゃんという女の子のまなざしが印象的だった。
こどもってすばらしいなあと思った。
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ピカピカ                 
 母がくれた さごしの酢づけ。

きれいやねえ 見た目も味もこの寒い季節の美しさみたいな一品。

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心の宝石箱                 

先日記憶の底から きらめくエメラルドを 手ですくったみたいな気持ちになった。

それは 宝石アイスってむかしあったよね という話をしていたとき
子供のとき食べた覚えがある、、、と 思った瞬間

帰ってきて検索してみると あった!(80年代生まれのひとは知らないと思う(笑)


ああ そうだ 「宝石箱」 バニラアイスに 氷の赤や 緑や 黄色のシロップがかかったものが
はいっていた 私は 緑か赤をよく食べていた。黄色も一回は食べたことがあったと思う。
でも 子供のころはやいうちにもう姿を消してしまったような。

まるで自分の胸の奥のほうにある 宝石が きらりんとここにいるぜ!と共鳴して輝いたみたい!

ちなみに私はこうゆう見えない宝石をひとはそれぞれ持っていると思うのが好きだ^^
自分のそれにふれてみたいという静かな情熱がある

そう さっきの話になるけど もしかして 本って 忘れられている自分の胸の宝石を
救済するために活躍しているのかもとふと思う。 土の壁をけずってゆく道具 かまみたいなの?
が本で 発掘してゆくおっさんか?が自由になりたいという自分の意思かな。不自由を自覚している自分
 おーい生きてるか?って 呼びかけて。  


っていっても 人がいいって言っているものが自分にふさわしいとは限らないから
勘みたいなものが必要だろうけど 自分を見つめようとしていたら
この勘ってはたらくんじゃないかと思う。
で いつか宝石に手がふれたときは なーんにもないのかもしれない
自分が宝石になるから。

って まあ この話はいいとして

とにかく この宝石箱っていうアイスの存在は 
私をとてもわくわくさせたのです!

バニラと氷の味が口の中で合わさったときのあの感じ!

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なんと美しい 赤たまねぎ!                 

 こーんな立派な赤たまねぎをいただきました!なんて美しいの!
ご実家のお父様が畑で育てられたそうです。


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薔薇の赤から                 

さっきハッとするほどきれいに見えた。
それはきっといつだって見る方の目にかかっているんだろう

花や人や事柄やいろんなそのままを見たい 
そのままを聴きたい

それは自由になるってことなんだろうなあ


すこしづつ自由になれる方法は私にとってホ・オポノポノをつかってクリーニングというのをすること。
これに出会ってほんとうによかった。
自分が変化してゆくのがわかる。

ハワイ民族の血をうけつぐモーナさんという方
この方がホ・オポノポノというものを現代的なひとりでできる方法にして
最初は小さな部屋からそしてだんだんと世界に広げてきたひと。 
モーナさんはもう天に召された方だけど
会ってみたかったなあと思う。
ありがとうございますと寝る前にときどき話かけてしまう^^

はじめてこれを人にきいたとき なんか いやだなあ、、はいはいくらいに思ってほおっていたのを思い出す。
だけどその数ヵ月後
本屋でふと 自分で 手にとっていたのがこのホ・オポノポノの本だったのです。

ホ・オポノポノは今は私にとって花のようにそばにある存在になった。
名詞というより 美しさというほうがしっくりくる
香りを放ち蕾が静かに開いてくるような
ホ・オポノポノってひらめきそのものなんだなあと思う。

そういえばお金もひらめきが形になったものだと最近ふと思った瞬間があった。

おお 薔薇の赤から 今日はこんな話になったわ^^

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あこや貝のしずく                 

母のところで ずーっと箱の中に眠っていた首飾り
私におこされ 日々に参加する模様^^


つい花の枝や葉っぱにかけてしまう。


あこや貝の子宮に異物をいれて その異物感に反応して作られるという真珠層
あこや貝たちが実際に痛いのか そうならそれをどう感じているのか?
自分が作った真珠を人間が活用していることを
どう思っているのか?
思いを馳せてみるけど まだはっきりわからない。

真珠たちも首飾りになったとき やってられないよ!と思ったのか?
よくわからないままただ受け容れてきたのか?
ぜんぶ理解して手をとりあっていくと決めていたのか?

この想像にしても私の意識の深さしか想像できない。
ふと あこや貝から真珠を作る作業をしていた誰かの祈りがもれてくるかもしれない。
きっともっと深いところにアクセスしている人はぜんぜんちがうあこや貝の意識に
アクセスできるのだと思う。



何にしてもこの真珠をみると いいなあと心が震える。

こうゆうものを何かの時だけじゃなく日常につけるほうだけど
ふと鏡とみたとき ふと手に触れたとき ときめきを感じさせてくれるものというのはすばらしいと思う。

もしこのかかわりのなかで真珠がつやを増してゆくとしたら
そのとき 
この創り手のあこや貝の意識もゆっくり動いてゆくのかなあと思う。

この真珠はおばあちゃんがつけていたものだからとても古いもので もうこれを作った実際の貝たちはとっくに天に召されているわけだけど
なんてゆうか あこや貝たち全体をひとつとして。

宵闇もいいもんだと言っているよう!?


首につけた真珠の丸みを人差し指と中指と薬指の指先を寄せてなぞると気持ちいい。
何かを弾いてるみたいで。

さわっていると 何かを促してくるような 信頼を語っているような
うーんよくわからないけど  なんかいい感じがする。
真珠たちが必要なだけ必要な人にわたることを願う。

みんなただつけてるんじゃなく本当は交流しているんだなあ。
プチプチとときめいているような真珠たちはとても静かで深遠でもある。
本当に私のまわりにはいろいろ教えてくれる存在ばかり^^

曲線美の小先生

赤鼻

大先生





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全部このままで                 

僕らの音楽で JUN SKY WALKER(S) が全部このままでを歌っていて
感動した。

何もかもきのうまでの 最高だったような 気持ちのままでいたい 去ってゆく 夢たちよ
いつからか いつだって やりたいことをどこまでも 人のことを考えずに 泣いてばかりいた
全部このままで 全部このままで 忘れたくない暖かい瞳を

過ぎてゆく じかんだけで 年をとったりしない 希望を失うとき 若くても死んでいる
将来に君がやがてツエをついたときにわかる そんなことを心配してまでは生きていけない
全部このままで 全部このままで 忘れたくない暖かい瞳を


思わず手がどんどん書いてしまった!このムダのない歌詞は
何だろうこの気分がよさは。

この歌は
瞳の暖かさのまわりに ふさわしく完璧に言葉がひっついたみたい

そっか
歌も絵も絵本も そうなのか〜 瞳のあたたかさが書かすように
何か見えないものが 形になるんだなあと
考えてみると あたりまえのことなのに 腑に落ちたようにほうと思った一瞬だった。

今度カラオケに行ったら歌わなくては♪


さっき このまま というタイトルをかいて
今度 そのまま で なんだかゴロあわせみたいだけど 偶然です^^
そういえば 今日は不思議な日だった 
こんな風にある別のキーワードが重なった日だった。
おもしろい。

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紫と手をつなぐ                 
このストックは 菜の花みたいにおひたしにしたくなるほど おいしそうに見える。

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見えない文(ふみ)                 
 施術をする部屋でもありヨガをする部屋でもある一室に
絵がかけてあります。
仏さまと呼べばいいのか 神さまと呼べばいいのか 
あたたかいふくよかなお顔 ふくよかな体 その方は蓮のお花の上に座り
手には蓮の花を持ち
その衣は舞い 頭のうしろにまあるい後光がさしています。
まるで蜜のようなあたたかな光の色あいとみずみずしい蓮のピンク

このご神仏さまのお姿はある仏師の方の奥様が描かれたもので
以前プレゼントしてくださったものです。
なんだかとても好きだと思い
壁にかけてからもう10年ほどになります。


先日 セジュツが終ったとき ふと
絵の中でそのご神仏が手に持っている蓮がちらちらちらと舞って花びらが散るイメージが浮かんで
あ、このセジュツがちゃんと終ったんだという気持ちになりました。
はじめて
そんな風に感じた瞬間でした。

そしてふとこの絵を描いてくださった方の心持ちが伝わってきたような気がしました。

(超えていたんだ)と思いました。

ここ数年その方にはお会いしていないし
今後会うことがあるかはわからないけど
その方の なんというか 口先だけではない 
お幸せにというような気持ち それは限定されていない不偏的な大きな意識がこのようなご神仏の絵になったのだなあと。

同時に
あたりまえに思っていたこの世界は
もしかしてこんな意識がいっぱいなんじゃないか
家は住む人が気にかけ意識をめぐらせて心地良さが満ちてくるみたいに
こうして暮らせるのも 古代のひとたちが 後にうまれる人々に
どうか心地良く暮らせますようにと願い大切にし
場を整えてくれていたんじゃないか 

自分たちだけという意識をとっくに超えていたんだ!
愛ってなんて豊かなんだろう。
わたしはほんとうに知らなかった。

自分の心の中が
反対のものどおし、かたっぽとかたっぽが合わさるように
折りはじめられた折り紙のように思う。

今までのすべての出来事がなかったらこうして変化してこなかっただろうなあと 
心から思った瞬間でした。
知らなかったからこそ知らない自分を許すことができる。
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